2月12日木曜日都内でアチコチ。
東京って暑い。なぜ東京人がコートを着てマフラーまいて満員電車に乗っていられるのか、さっぱりわからない。
私はTシャツに編み目のおっきな風通しいいセーター(笑)だけで充分。コートもマフラーも小脇に抱えてるだけ。
深夜0時頃、埼玉に戻るとやっぱり寒いけど、心地よい寒さ。
私はもうすっかり埼玉人ね。
シャワー浴びて、あれこれ準備して。
午前3時愛車と共に出発。
東北道大谷パーキングで仮眠。本当はもっと走ってから眠りたかったのだけど、
福島に入ってしまうと、車中泊には寒すぎるなと。
私の車中泊の鉄則は、アイドリング禁止なのだ。
でも2月の栃木も寒い。だからちゃんと湯たんぽ持参!!
湯たんぽ抱えて寝袋くるまって快眠。
10時半ころ小雪舞う蔵王到着。埼玉より全然さむ〜い。当たり前ですが。
やや強行軍の目的は愛車のタイヤに「君はスタッドレスなんだよ。」って思い出させてあげたくてε=ε=┏( ・_・)┛。というのは冗談で、5月末の個展の下見、お仕事。
遠方のギャラリーだと普通は下見とかせずに、図面と写真だけで想像して、制作するのですが、今回は想像力の限界がありました。
諸々腑に落ちて納得。(そしてステキな出会いに感謝します。)
さて。蔵王から降りると、仙台は快晴でした。
どうして手を合わせたくて海に向かった。
あれから3年11ヶ月。私にとって、3度目の海。
被災地という言葉は好きじゃない。
そして仙台に住み普通の生活に戻って居る人々を思うと、
こうして海を訪れる事も、気が引けたし、
あの日が近づくと騒ぐ事も嫌いだ。
でも、ここに来て、
あの日テレビの前で泣いた事。
ボランティアで最初に来た日の強烈な悲しみを思い出した。
海からの強く冷たい風に頭を垂れナニモノかわからぬ全てに
ただただ、謝る事しかできなかった。仙台市若葉区荒浜にて
今思うと、救えずに失われた命、
人間のおごり。
この国の展望そんな全てに対する謝罪だったように思う...。
ところどころで津波に射抜かれたままの住宅もみかけたが、
この付近はほぼ更地になっていた。2012年5月に両親と訪れた時は、家の基礎はたくさん残っていた記憶がある。
広大な更地だ。でも、更地じゃなくて、自分の踏む一歩の足下に人々の悲鳴と嘆きがあるようで、その一歩が申し訳ない。
この犠牲を無駄にしない!!
そんな言葉はきれいごとだ。
もちろんその言葉以外に表現に困る事も多々あって、時には私自身も使ってしまうので、この表現をする人を非難する気は無い。
でも犠牲は取り返しの付かない犠牲なんだよ。
我々はどんな未来を作れば、ナニモノかわからぬこの巨大なナニモノかに本物の償いができるだろう?
そして失われた命に「犠牲を無駄にしませんでした。」と報告できるのだろうか?