左目君が...その2
この頃、すごくショックな事があった。
長いあいだ闘病生活をしていた親しい親戚が再入院してしまったのだ。
お見舞いに行った母は泣いていた。「悲しくなるからアナタは行かない方がいいわ。」
こんなタイミングだから私の左眼君の状態は家族に対してトップシークレットになった。
まあ、どっちにしても《治る病》に関しては事後報告というスタイルなんだけど。お見舞いどうしよう(>_<)
自分がこの状況で、大好きな親戚の弱った姿を見て心は耐えられるのか?でも病院で寂しがっているに違いない。
そしてその時間は限られているのだから。優先すべきは自分ではなく相手だ。
友人と姉(ドイツ在住)に「がんばって!!」と背中押されて都内の病院にミニ鶴作って行ってみた。ものすごく喜んでくれた。
確かにちっちゃくなっていたけれど、母が言っていたより元気そうだったことに安心した。
私に会えた《大きな喜び》が伝わってきて心配していたような(私自身の)ストレスにはならなかった。
一難去ってまた一難とでもいうのか?
同時に会社で、一つの問題が浮上した。
眼に問題がある人間が、フォークリフトに乗ってて良いのか??というものだ。
ごもっともです。
13年働いている倉庫。距離感、サイズ感、荷物に対する感覚を完全に把握している。...つもりだ。
フォークリフトの操作は目と同じくらいに感覚が役に立つ。発症後も運転していたし本人も周囲も不安を感じていないのだが。もしもを起こしたら...。
でも...生活がぁ(ToT)
同僚は「2、3週間療養しなよ。こっちは大丈夫よ☆」心強いお言葉。
でも。冷静に現実的に全然抜けられる状況じゃないじゃん。 有給休暇にも限りはあるし(>_<)
結局、こちらも「次の病院の診断を待つ。」という事に。
そうは言われても、生活の根幹に関わることが、煮え切らない状況がストレスだった。あっそうか☆
フォークリフトも車両だ。運転免許基準をクリアすれば良いのか!!!
道路交通法によると運転免許の条件は《片目の視力が著しく低い人は片目が0.3以上であるか、他眼の視野が左右150°以上、視力が0.7であること》とある。
(警視庁http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/menkyo/menkyo/tekisei/tekisei03.htm)
確かに左眼の中央は見えないが、そもそも周囲は見えている訳だから150°クリアしているはず☆☆☆
上司も「それなら多分大丈夫そうですね。医師の診断書もらってきて下さいね。」
9月22日(発症から13日)
紹介された《積極的治療のできる病院》に行ってみた。
眼科だけなのに、デカい。入院を伴う高度な手術ができるそうだ。そして強烈な混雑★待合室は長椅子がたりなくて《通勤ラッシュが終わったけどまだまだ混んでる電車》レベル。
うんざりする長い待ち時間を経て。
視力検査。中心が見えない私のために看護師さんが検査マークの書いた紙をゆっくり回してくれる。見えた部分で答える。この前よりずっと親切で正確な測定。この方法のおかげでかなりいい結果。
さらにまたたくさん検査されて医師の診断。
「視力裸眼で0.04。矯正で0.4。ですね。」「剥離の範囲も広いですし。レーザー治療必要かもしれないですね。」
「2週間後に新たな検査をして治療方針を確定しましょう。それまでは投薬治療を行いましょう。」
会社から求められた診断書は貰えなかった。
そりゃあそうだよね〜。医師に責任押し付けることになるもんね。
「できれば仕事休んで下さい。」はいはい。鍛冶屋は休んでいますよ〜と心で返答。
結局視力検査の結果だけを紙に書いてもらった。
道交法では片目が0.3両目で0.7となっているので、診断書なしで会社も納得してくれた。
安心したよ〜ヾ(*´∀`*)ノ゛
渡された薬は漢方だった。ちょっと拍子抜け。同時に安心できた。10月3日
都内へ。なんだかんだ疲れたけど、再び親戚のお見舞いへ。
とっても悪かったが、意識はあるようで 私を理解しているようだった。
30分足らずだったけど 面会時間が終わりになるまでブツブツ話しかけながらそっとその場に居た。
11月4日
名古屋へ。
名古屋に着いてすぐ母からの電話で昨夜 私が帰った直後に親戚の容態が悪化し 深夜に亡くなったとの知らせが入った。
きっと私が来るのを待っててくれたんだ...。バイバイ。でも、もう楽になれたのかな?
私の心には あなたのお声もお顔も 焼き付いてるから。あなたが居ないという現実が理解できないのよ。
これからも一緒に居てね。
10月6日(発症から4週間)
とうとうこの日は例の検査。なんか、良くなってる気がするよ♪
いつも以上にたくさん検査され、最後の検査が終わると、もうとっくにお昼を過ぎちゃった。
いつもは診察室から出て来ない医師が 待ちきれないかのように検査室に結果を見に来た。
前回の検査結果見比べてる医師の周りの空気は、前より全然柔らかく見えた。
「良くなっていますね☆
腫れもひいてきていますし。範囲が移動していることが気になりますが、良い傾向です。
レーザーなら早い回復が望めますが、どうしてもほんの少しだけ見えない部分が出ます。
時間はかかりますが薬なら 後遺症はほとんど無く完治するでしょう。どうしますか?」
この前の納品の時 つくづくわかったのは、両眼の重要性。
迷わず「投薬」を選択した。
バンザ〜イ!!!! 小躍りしたいくらい嬉しかった。
私はこれまで大きな病気もしたことないし、体力には自信があったので時々病院に行っても、お医者さんの言葉を片耳で聞くような行動をしてきた。
しかし今回片目失ったら、鍛冶仕事にも影響が出ることを実感した。大好きな車にも乗れなくなる可能性を知った。生活に関わる仕事を失う可能性を意識した。
今回ばかりは両耳かっぽじいて聞いた。そして素直に休息をした。
その間は静かに、たまりにたまった野暮用をして、製鉄について勉強をし直して論文並みの長さの日新製鋼見学ブログを書いた。
そのかいあって、メキメキと回復していった。
まず最初に見えたのは鼻だった。鏡の前で歯を磨きながらふと視力の無いド真ん中に自分の鼻だけがポカリと浮いていることに気が付いた。
えっ鼻?鼻?鼻じゃん!!!!鼻が見えてる〜\(*^▽^*)/
左眼で見えるということがものすごく新鮮に感じた。少しずつ見える範囲は広がったが物が歪んだりちょっと遠くに見えたりしていた。
この間には告別式もあったし。姉が帰国して一緒に旅行行ったり割と忙しくしてた。徐々に鍛冶屋再開。年内納品がすっかり溜まってしまった。
通院は最初は2週間間隔。3週間になり4週間になったが。病院はいつも混んでいた。9時半に診察開始なのに9時に行くと100人の待ち人がいる。夜勤の人間には9時着が精一杯。うんざりだった。
12月5日(発症から14週)
最後の病院へ。
もういいかなとは思ったけれど、年末のバイトの繁忙期と納品の緊張感という負荷をかける前に「完治。」という言葉を聞きたかったのだ。
しかし2時間待ちぼうけして言われたのは「主治医が混雑しているので、別の先生でいいか?」という質問。
仕方なく了承。
最初にして最後の医師は
「腫れひいていますね。矯正視力も1.0、裸眼も0.1まで回復しています。裸眼視力が多少落ちていても矯正視力がここまで回復していれば、大丈夫です。これまで、診てきたわけではないのでハッキリとは言えませんが、完治したと言えるでしょう。」
ハッキリ言われてないから小躍りできないけど(笑)、その医師もとても親切で説明もわかりやすかった。
「薬は一応出します。必ずしも飲まなくてもいいです。
次回診察は異常が無ければ来なくて大丈夫です。
ただし!!再発の可能性は十分あります。無理し過ぎないで下さい。」
12月後半本当に忙しかった。1日3回の薬なんて飲む心の余裕はなくもらった薬は2、3包飲んで放置。徹夜も何度もした。 年賀状も大掃除も諦めた。
あまりにも疲れて仕事納めと同時に風邪をひいた。 それでも左眼君はなんの不平も言わなかった。
ということは♪ 完治なんだね☆☆☆
辛い思いさせてごめんね。左眼くん。2ヵ月半負担かけてごめんね右眼くん。
結局、一番悪かったのは眼の中で扇風機回っていた発症から1週間だったんだろうな。
完治には3ヶ月から半年って言われたのに2ヶ月半で治ったってことは、まだまだ私の身体頑張れるってことね☆
まあでも、それなりに歳取ってるんだな〜と色々考えさせられました。
また無理する生活には戻ってしまっていますが、前よりはず〜〜〜〜っと自分を甘やかす事を覚えましたよ〜。
そして、誤解がないように、付け加えますが、この病気は火と対面する炉前作業、溶接作業などの鍛冶屋作業が原因ではありません。
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