あの箱の中で鑑賞してくださった、
乳飲み子を抱っこしたお母様の赤ちゃんへの一言が忘れられない。
「〇〇君、嬉しいね、嬉しいね。あなたはこんな小さなころから、こんな素晴らしい物を見れて。」
なんだ!? この味わったことのない重さは。
お母さんの様子、口調からは微塵のお世辞もなく。
お母さん本人の感動と、さらに育ちゆく 最愛の存在に対するその言葉。
芸術なんて人類の進化に役立つのか?という愚問を払拭する、その言葉。
必至で過ごした2週間の最大のご褒美だったけど、
嬉しかったけど、重い重い賛辞だった。
「そこまで言っていただける程か?
私は芸術と言える程の 高みに達しているだろうか?」と自問自答が再発。
褒められても、けなされても付きまとう問題だろう。
お母様にとっては何気ない一言だったんだろうけどね。
8階奥の、ちょっと照明をおとした場所に、
箱と、隣は里恵さんの大物<フラスコの夢>。この二つ かなりいいコンビ。
箱は大人が二人ちょうど入れるサイズ。
天井が190センチ弱だから、 背の高い男性には低く感じるはず。
中にあるのはこれだけ。
光源となる懐中電灯と、宙に浮くように配したダマスカス球。
入った人は題名を見なくても「地球ですね」とか「宇宙ですね」という。
そう ≪禁断の地球(ほし)≫直径13センチ重さ3,2キロの小さな小さな地球。
地球を取り巻く宇宙である箱は、 中に入ると、大きく感じる。
遮断された光と、黒く塗られたべニアによって視覚は壁を認識しなくなるのね。
手に届くところにある壁が、遥か遠く続く闇に変化する。
これは、私自身やってみて初めて理解した現象だけど。
3,2キロの小さな小さな地球。
小さいけど無垢のダマスカス鋼としてはかなりハード。鉄とニッケルが3千枚重なっている。
球体でなければもっといデカイの作れるけど、球体にすると目減りする。
これが制作風景。
この時点では6キロある。
まず、火が強すぎて、炉の周りではマスク無しでは呼吸すらできない。
挙げればきりないくらいハードな仕事。
助手が居たら楽だろうけど、いくら積んだらこの命がけな仕事を
手伝ってもらえるのだろう?と思ってしまう。
なぜ、この過酷な制作を選ぶのかと言えば、
先程のお母さんと子供の話にも通じてくるが
私は≪芸術・美術≫というものに、冷ややかな面がある。
「何かを訴えようとして作ってどれほど伝わるか?」
それが大きな問題なのだ。
しかし、自然は美しいばかりでなく、心を打ち、癒やす。
それはきっと必然から生まれる物だからだろう。
私は自然からインスピレーションを受けるだけではなく
自然そのものになりたい...
そして選んだのがダマスカス。
私はダマスカスに熱(火)と圧力(叩く)という環境を与える。
それにダマスカスがどう応えてくれるか?
その応えにどう対処するか。
そのせめぎ合いが形になり、 模様を生みだす。
自然も風が吹くから木が曲がり、
木が曲がるから根が伸びるでしょ。
その生き抜くための形が心を打つでしょ。
“≪金属に問う≫禁断の地球(ほし)” への2件のフィードバック
遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます。
年賀状、ありがとうございました。
今年も心に響く作品を期待して、
応援させて頂きます。
ミツヲさま←nana
いつもありがとうございます!!
今年もよろしくお願い致します。
先日アステで数々の素敵なディスプレイ見てきましたよ。
いいですね☆
うちのチョコもいたずらに、ディスプレイに最高で~す!(^^)!