胸椎って?硬膜ってなんだべ?
胸椎は要するに背骨。ざっと、背骨の上の方、首部分が頸椎。胸部分が胸椎。腰部分が腰椎だそうな。
素人的に解剖図眺めて理解した感じと、医師の説明を総合した知識では、背骨って二つの役割があるみたいね。
身体を支え可動する役割と、脊髄を通し守る役目。
そもそも、言われてみれば脊髄がどこにあるか知らなかった。背骨の内側だろうと思っていたけど、
思っていた内側とは全然違っていた。 辞典・百科事典の検索サービス – Weblio辞書 から画像お借り
上が背骨を横から見た図。下左が一つ一つの骨を上から見た図。
下左の図の輪っかになっている部分、どうやら、ココにチューブ状の硬膜が通っていて、
その中を髄液という液体で満たして脊髄を格納してるそうだ。脊髄は脳からの指令を全身に伝える大切な器官だから、胎児を羊水で守る様に、髄液の中に浮かせてるんだってさ。
私の場合はチューブ状の硬膜の内側に腫瘍ができたそうだ。
そもそも脊髄腫瘍という病気全体でも10万人に1人か2人位の発生率だそうで、あまり多く無いのね。その中でも、頸椎や腰椎に比べて胸椎は更に少ないらしい。
一日かかった診察からの帰り道。多分、この病気と向き合う中で、この時が一番落ち込んでたと思う。
とりあえず、会社に電話して今後の対応を話し合い。
これは、隠し通せないと思い、両親にも伝えた。
人に話した事で心は冷静を取り戻した。もう夕方だけど工房に行こう!!納品物作らなきゃ。
意地でも完成させる!!でも、医師からはハードな事をすると、脊髄の損傷につながりますよ。そしたら術後の後遺症が大きくなりますと忠告された。そうでなくとも、足の麻痺は日に日に進行している。ひょっとしたら4月には、自力歩行無理かもしれない。
納品期限は4月5日だったが、安全策で、3月中に完成させよう!!!制作工程を見直す。
先方のお人柄は良く知っていたから、病気の事も納品が危ぶまれてる事も、ナイショにした。絶対に納品する。私がそう決めれば、そうなる。
3月22日(水)バイトもその週のシフトを残業まできっちりこなして、また来週ねと帰宅(実際の出勤は土曜日)
3月23日ムチウチのリハビリがてら、矢作整形外科に、経過報告に行く。
「古屋さん、診察室へどうぞ〜」
あ。待って。今、歩くからさ!!思い通りに歩けないんだよね...。ノソノソ診察室に到達。
「え?そんなに歩けないの?先週普通に歩いてたよね??」やっとこさ歩く私に院長先生がびっくりした声をあげた。
「はい。毎日どんどん足が動かせなくなっています。」
「すごい進行だね!!君にはもう時間がないよ。手術は決まったの?」
「5月末まで手術の空きが無いそうで、3月30、31日に検査入院は入れてもらいましたが、
それも無理矢理ねじ込んで下さった感じでした。」
「せめて診察してもらいたいね。今すぐあっちの病院に電話してあげるから、廊下で待ってて。」
数分後看護師さんが「古屋さん、今日から入院できますか?」いやそれ流石に無理でしょ〜仕事しなきゃだもん。
「ちょっとお待ちくださいね。」と再び。
「古屋さん、明日からになりました!!」いやいや、それって実質半日しか変わって無いじゃん!!無理無理無理!!と思いつつ、空気は読めた。両方の医師が最大限私のためにしてくれてるんだ。《断っちゃいけないタイミング》
「はい。大丈夫です。」改めて院長先生にお礼を言い、励まされて辞した。
ソッコー工房へ。ココまで来ればなんとかなるだろう、というところまで終わらせて帰宅すると午前3時。
入院期間もわからぬまま、準備をして、2時間ほど寝て、
東埼玉総合病院へ。いざ人生初の入院へ!!
その前に、診察。
「確かに、かなり症状進行していますね。
古屋さん。3月28日火曜日に手術入れられますがいかがですか?」
へ???本日金曜日で、火曜日って〜〜〜!?
「それ逃すといつなんですか?」
「それはなんとも。火曜日も手術予定していた患者さんが体調崩されてたまたま空いただけですから。
古屋さんの症状から優先順位が高いと考え、ご案内しています。
お仕事の関係などで、無理なようでしたら、他の方を入れますので、ご自身で決めて下さい。」
無理です!!って言いたいけど、《断っちゃいけないタイミングその2》だよね?
これを逃したら、矢作先生のご尽力を無にするし、手術より仕事を取ったと知ったら、納品先の社長も悲しむ。
そして、何よりも私自身一生鉄を叩ける身体が欲しいんだ!!!
「28日火曜日お願いいたします。」
家族を振り返ると「うん」と大きくうなずいてくれた。
よっしゃ!!仕事手伝ってね。
そうと決まれば、執刀医の診察。
ちょうど医師として、経験、技術が高まり、肉体的にも余裕がある正 に今が花盛りの医師という印象。
丁寧だが、表情の変化はほとんど無くクール。
クールながら冷たさは感じない。直感人間な私は、この人信頼できると感じた。
改めて問診などなど。脚気も見て、「反応強いですね。手も出してください。」
人差し指の第二関節をコツコツ叩かれる。
「手の脚気も出ていますね。脳にも腫瘍あるかな?
と言うのは、腫瘍の位置より下の足の脚気はこの腫瘍で説明が付きますが、手の神経はこの腫瘍のある場所より、
上部で分岐しています。ということは手の分岐以前に別の腫瘍が疑われますが、首のMRIでは腫瘍は見当たらない。
後疑われるのは脳です。脳もMRI撮りましょう」
おっそろしい事を表情一つ変えずにさらりとおっしゃる。
こちら、まな板の上の鯉です。
でも、交渉はせねば!!
「あの、火曜日手術後、当分寝たきりになるんですよね?
でしたらなんとかその前に納品物だけ完成したいので、一日帰宅させてください。」
押し問答の末26日(日)消灯前に帰ってくる約束で一時帰宅が、認められた。
長くなっちゃうから割愛するけど、
必死に完成させたのはこちら。ペン立て穴付きペーパーウェイト。
結局、私自身は酸でエッチングし、中和剤につけ込むところまでしかできなくて、
中和剤から出して、乾燥させては家族に頼むしかできなかった。
送り出せばいいって思っていたから、撮影も忘れてた。
退院して、カメラいじくってたらこの写真が出て来た。撮ってくれてたんだ!!
撮影時間は午前3時過ぎ。そんな時間まで頑張ってくれたとは!!!
私が仕事をほっぽりだして入院する悔しさを理解し、私の立場に立って仕事を引き継いでくれたのだと感じた。
感謝し過ぎて、切なくて、何も言えなくて、お礼も言ってないけど。いつか言えるかな(笑)
ひとつ発見したのは、どんなに歩けなくてヨロヨロ工房行っても、
工房で安全靴履くとヨロケが3割減するってこと。不思議だね。
そうそう、それから脳神経外科の先生が病室にいらしてくださって
「脳に腫瘍はありませんでしたよ。脚気は腫瘍か、もう一つ別な病気くらいしかありませんが、
どちらも問題ないと思われます。実は、脳にも腫瘍があったら大変なことでしたよ。」
と茶目っ気たっぷりに笑った。
だよね〜そうなるよね〜!!
あんなクールに腫瘍あるかも。って言ってたけど。
今日はこの辺で☆
(今はもう元気です)