ひゅ〜ぅご〜ぉ〜
ひゅ〜ぅご〜ぉ〜
火は音を立て身を翻して踊っていた。
高く低く
はためき 揺らめき
強く 弱く、
呼吸をするように 身を翻す...
言葉にならない その魅惑的な舞いをただただ見つめた。
2016年2月5日
島根県奥出雲町にて「日刀保たたら」操業を見学した。
私自身も工房に小さなコークス炉を持つ。
また、何社かの製鉄所や鉄鋼関連企業さんを 訪問する機会をいただいてきた。
その度に、工場や火にはそれぞれ性格も表情も違いがあると感じてきた。
今回 今までのどれとも全く異なる その火に魅了された。もちろん冒頭の《ひゅ〜ごぉ〜》という音は 鞴 (ふいご) を通して送られる風の音だし、
燃料が木炭だから、大工場のコークスやガスの火のように 強烈な火ではないという根本的な相違がある。
それら全てを総合して、火の性格は作られると思うのだ。
大きな工場では、巨大な火が機械に従えられているように見える。
それに反してこの火は生命を宿している。
呼吸をし村下 (むらげーたたらの操業責任者※1詳細は下記) と会話をし踊っている。
人間を見て人間を人間として捉え、いつでも猛威を奮える体力を持ちながら 歩み寄ってくれているように見えた。
しかし、私にはその火の言葉はまったくわからない、
...羨ましく少々悔しい。
高殿 (たたらの炉等を収める建物) 内部の床は土で固められ、完全に乾燥している。
中央に向かって台形に盛り上がり、真ん中に湯船のような形の炉、それを挟むように左右対称に天秤山が配される。(下記図を参照)
古くはこの天秤山に天秤鞴 (てんびんふいご) を置き人力で送風していたが、現在は天秤山から地下で電動鞴に繫がる。
見学した操業3日目は、上り期と呼ばれ火が高く、火だけで3メートルに達する事もある。
高殿内には神棚があり、金屋子 (かなやご) 様が祀られている。金屋子様から見て、炉の右が表、左が裏。
表裏でそれぞれに 村下が一人ずつ付く。これは切磋琢磨するための古くからの習慣のようだが、表裏には優劣は無い。(作業員・村下2名、村下代行2名、補助8〜9名)
そもそもたたら(踏鞴)とは、近代製鉄発見以前の 砂鉄を利用した製鉄方法である。
古代インドから中国、朝鮮半島を経て、弥生時代〜古墳時代頃 (諸説ある様子) 日本にもたらされたというが、
その起源は定かではない。
同時に日本のたたらは独自に進化し 優れた地下構造 (炉に湿気が及ばせない役割) を持つ。
室町時代に地下構造を伴わず、山の斜面で自然の風を利用した《野だたら》なる物もあったが、江戸時代頃には現在の形になり、生産性も上がりより組織的になったようだ。
だが、三日三晩かけ約10トン砂鉄と12トンの木炭から 2.5トン程の鉄塊(鉧−けら)を作るという割の悪いものである。
そのせいもあり、近代製鉄の発達とともに数を減らし、敗戦もからみ1945年に途絶えた。 (今の日本の製鉄の歩留まりは80〜90%)
しかし、日本の文化である日本刀は たたらによって作られる玉鋼 (たまはがね) からしか出来ない。
たたらが途絶え刀匠は ストックの玉鋼などを使い堪え忍んだ。(うろ覚えだが、敗戦直後日本刀生産は禁止されたはず)
しかしとうとう、1977年 32年の時を経て、たたらは再開された。32年という長きに渡り 再開の見通しの無いまま、技術を絶やさなかった刀匠も、技を忘れなかった村下も、
復活させた日刀保 (公益財団法人 日本美術刀剣保存協会) も、どれ程の苦労であっただろう。
そんな歴史を経て今、私の目の前で執り行われている。
湯船のような炉には 木炭がパンパンに詰まって燃えている。
「やってがっしゃい!」
さほど大きな声ではないが、聞き慣れないその言葉は、高殿の浮き世離れした気高い空気によく響いた。
それを合図に 30分毎に 燃え盛る炎に木炭と砂鉄を交互にくべる。(図①)
砂鉄は溶かされ 燃焼する木炭に埋め尽くされた炉を1時間かけて下へ下へ垂れ (図②)、炉底に溜まる (図③)
溶け下る間に木炭の炭素と砂鉄にくっついていた酸素が結合 (還元) 、更に炉底の高温により 還元が進み 鉄になる。
図中の③のラインは炉壁を溶かし成長した最終的 鉧 (けら−鉄塊のこと) の形を現す。
また溶かされた炉壁は 砂鉄と反応しノロとなる。その反応により炉底の温度は高温に達し、同時にノロには砂鉄に
含まれる不純物を排出する役目もある。と簡単に言い切ってみたが、実は現代科学でもたたらのメカニズムは 解明されていない。
きっと解明できないだろうし、だいたいさ、科学より確かで大事なのは、村下の火と対話する力だと思うんだよね。
だって、科学って言葉が生まれる以前から村下は《知っている》んだ。
1時間程淡々と行われる投入とノロ出しの作業を見入る。
最前列で食い入るように見ていたら 日刀保 Kさんが色々と説明してくださった。
使われている道具のこと、操業の仕方、歴史。中でも、一番印象深かったのが、
「奥出雲という土地が たたらに最適だったのです。
良質の砂鉄と、木炭となる木は30〜40年で自然再生する力がありました。
更に、松江藩は厳正に鉄師を選定し 山林の使用などを統制したのです。
確かに砂鉄を採る為に幾つもの山が削られ カンナ流し (※2砂鉄の採取法詳細は下記) が行われました。
しかし、カンナ流しの水路はそのまま灌漑用水路になり、削られた土地は棚田になったのです。
奥出雲はたたらと共生してきたのですよ。」
そうだ!!
近代製鉄を勉強していた時に読んだ。
ドイツやイギリスでは製鉄の木炭のために 森が丸裸になり再生されなかった。
関係ないけど ポリネシア人はモアイ像を作る為に森を破壊し、食糧すらなくなって、
島から脱出する船を作る木さえなかったというよね。
なんと賢いんだ日本人!!!
「たたらは土地に根差した物なのです。現在も木炭も砂鉄も奥出雲産です。カンナ流しはできませんけどね。」
見学初日が終わった。また明日もう一度ここに来て良いんだ!!
嬉しくてたまらなかった。
レンタカーを走らせ少し離れた山の中の『金屋子様』に会いに行った。
ここが全国1200ある金屋子様の総本山。金屋子さまは 白鷺に乗って飛んでくるんだって。
「操業が無事でありますように。これからも私が鉄を愛する事をお許しください。」
金屋子様は女神さまだ。古くはたたら場は女人禁制だった、金屋子様が嫉妬してしまうから。
金屋子様は《藁で髪を縛るような器量の悪い女神》だそうだ。
私も大差ないよ。いつも溶接で穴のあいちゃったTシャツ着てるよ。
金屋子様は会えたけれど《金屋子神話民族館》は冬季閉鎖。ものすごく残念。
(※1)村下(むらげ)
たたらの操業責任者。
文化財保護法第147条に規定された「選定保存技術」取得者、木原村下渡部村下の2名。
文化財保護法第百四十七条
文部科学大臣は、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術又は技能で
保存の措置を講ずる必要があるものを選定保存技術として選定することができる。
(※2)カンナ流し (鉄穴流し)
山を砕きそのまま水路に岩石を流し 粉砕し、更に下流で比重によって、土砂から砂鉄に分ける。大量の土砂が流される為 下流の農民には悪影響を及ぼす