《岐阜名古屋の旅》 〜帰路〜


21時少し前に、三五さんを出発。
とりあえず刈谷パーキングエリアに寄る。

観覧車と三日月の共演。


トイレでガンガン放送されてる道路情報で「東名高速 上り、御殿場で事故…通行止め…」
「ありゃ?それって私通るよね?
少ししたら、通行止め解除されないかな〜」
とりあえず。沼津まで一気に走り、休憩。
って思ったけれど、大大大混雑。駐車場じゃないところも埋め尽くされてる。
私も、仕方なくゼブラゾーンに車を停めてトイレにダッシュ。
こりゃ休憩なんてしてたら迷惑だし、突っ込まれかねないわ。
仕方なく出発。
為す術なく御殿場。相変わらず通行止め。
路肩に駐車してる車も居たけれど、出口へ。
ゲーセンの駐車場をお借りして、一人作戦会議。ひゃー!!東富士五湖道も夜間通行止め!!

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《持って来てよかった。ツーリングマップル。こうゆう時はアナログが心強い。富士吉田はこのページに入ってない》           
138号をトボトボと走り出す。
山道を抜けて〜、  ……出た!!
富士吉田…。

そうだよね。
古巣山梨。20年前、2年間の鳴沢村修行。生活用品の買い物はいつも富士吉田だった。
暗黒の時代だった。
自分がアホ過ぎて工房の足手まといとなり、劣等感から心も壊れかけた。
走り過ぎる街は時を経て変わり過ぎたのか?
夜だからか、観光地や神社くらいしかわからなかった。
20年間、決して足を踏み入れたくなかった場所。
すでに疲れて思考は麻痺し、淡々と運転だけに脳味噌を使っていたのだが、
だんだんと、なぜ今この街を走ってるんだ?という疑問がもたげて来た。

そんな気持ちを抱えながら、
あの時と同じように、河口湖インターから大月、中央道へ。
この道を通って、帰省したり、先輩達とトラック乗って現場行った日々が甦る。

まさかこの日にココを通るなんて。
岐阜で佐野さんと火を見ながら、語り合った鉄への思い。
ホソミエンジニアリングのみんなの笑顔。
名古屋の三五さんにあった自分の作品。
社長の優しい言葉。
ホタル、再生された土地。

そして今、山梨。鉄人生の原点に戻された。
全てが一つの輪となり繋がっていった。
自分を許せた。rodama].jpg
三五さんで社長さんに話した自分の言葉を思い出した。
「無名の私に目をかけてくださった皆さまに恩返しをしたかったのです。
そんな矢先に、多くの物と大切な人達を失い悲観的になってしまいました。
でも今回の旅で、
大切な人達や自分の作品と再会し、失った物が残してくれた、たくさんの縁に気付きました。
鉄と自分。
私が欲しいのはそれだけだ。と、やっとわかりました。」

午前3時。
おうち到着!!
結局トイレ休憩しかせずに、名古屋から埼玉まで走り切った。頑張ったオレ。

旅から帰ってきたら、見える物全てが違う。
人生の景色がまるで違う。
奇しくも、人生の棚卸しの旅となった。


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